大学を卒業し、実家の千葉県我孫子市に戻った1985年頃の話だ。
その頃、となりの茨城の局ともよくラグチューをしていた。
特に50メガのFMでは毎晩のように同じメンツが揃い、ワイワイガヤガヤと楽しんでいた。
平野だから、その電波は東京や神奈川にも飛んでいて、そちら方面からの参加もあった。
そんな中である高校生のYLとYMが面白いことを始めた。
それは「初級茨城弁講座」。
茨城に住む高校生YLが茨城弁を解説し、そのアシスタントがYMという具合だ。
これを50メガFMのある周波数で毎週一回、決まった時間にやっていた。
まず、YLが旺文社のラジオ講座のテーマ曲を流し、
「初級、茨城弁講座」
と宣言をして始める。
YL:「はい、それでは本日の例文です。『おらほのねごめは、車んながで、ヌクトポッチすんのが、すきだがんなぁー』」
YM:「ホー、これはどういう意味なのでしょう」
YL:「はい。まず『おらほの』は、『私の』あるいは『うちの』という意味です。そして、『ねごめは』は『ねこちゃんは』です」
YM:「なるほど。それでは、『ヌクトポッチ』というのは、なんでしょう?」
YL:「『ひなたぼっこ』のことです。『すきだがんなぁー』はだいたいわかりますね?」
YM:「では続けるとどういう意味になるのでしょうか?」
YL:「はい。これは、『うちの猫ちゃんは、車の中でひなたぼっこをするのがすきなのよ』という意味です」
こんなの、友人一同しか聞いていないと誰もが思っていたし、毎週やっているとそのうちくたびれてくるし、あまり反応もないので飽きてきた。
そこでそろそろやめようという話になり、ある日番組終了のアナウンスをした。
YL:「ご好評いただきました初級茨城弁講座は本日をもって終了させていただきます。ご意見ご感想などがありましたら、郵便番号○○○、茨城県○○郡○○町大字○○、○×○子あてにお願いします」
これで手紙が来るとは誰も思っていない。ところが数日後、
「ちょっと、大変なのよ!」
と高校生YLが50メガで叫んだ。なんと、数十通に及ぶファンレターが届き、どの手紙にも「初級茨城弁講座、続けてください」と書いてあった。
CQを出したら誰も呼んでこなくても10局以上はワッチしていると言うが、まさかこれほどのリスナーがいるとは考えもしなかった。
結局、彼女たちがその後初級茨城弁講座を続けることはなかったのだが、その後もたくさんの人が僕らの馬鹿話を聞いていたに違いない。
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